関東学院大学経済学部

安田八十五研究室 

リプリントシリーズ

 

 

 

No.2003-01-01

 

 

 

道路公団:民営・市民事業化を提案する

 

 

by

 

安田 八十五 他

 

世界、第709

PP232-243、平成151月号、岩波書店発行

 

 

 

 

環境政策学者(工学博士)

安田八十五 Dr. Yasoi YASUDA

2368501横浜市金沢区六浦東1501
関東学院大学経済学部教授

研究室直通電話:TEL&FAX: 045-786-9802
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道路公団−「民営・市民事業化」を提案する

 

世界、第709号、PP232-243、平成151月号、岩波書店発行

 

                           五十嵐 敬 喜

田中 優

安田 八十五

 はじめに

いつの頃からか、日本では、全国どこでも、[道路]は大変立派になった。可住地面積だけでみれば、日本の高速道路の総延長は、ドイツを抜いて圧倒的に世界一である。

そしてまた、いつ頃からであろうか、少しおかしいなとも思われるようになった。何でこんなところまで、と思うような山の奥までコンクリートの立派な道路が作られている。国道、県道、市町村道、どれもこれもコンクリートで真っ直ぐに整備されるようになった。

国土交通省の道路と農水省の農道が並んで走る。さらにオリンピック道路というような特殊な道路もある。同じような道路なのに、無料の道路と有料の道路がある。東京のものすごい渋滞道路があるかと思うと、北海道では殆んど車が走らない。

立派な道路はできたが、町はただの通過場所になり、町の中の商店街は町の外を走る道路沿いのスーパーに客を全部持っていかれてしまった。温泉では、いままでは泊まってくれていた客が、道路が良くなったおかげで日帰りするようになった。

町長や市長、知事の大事な仕事は、国に陳情に行って道路に予算をつけてもらうことである。「道路は地方の命。国土の均衡ある発展。道路こそ国の税金で行なうべき正真正銘の社会資本。緊急医療のための道路整備、あるいは渋滞の解消」が彼らの言い分だ。しかし、彼らの要求は道路だけではない。新幹線も空港も港も整備してほしい。これは地方分権の発展のために必要なのだ。最近の不況がこれに拍車をかける。雇用の確保、地域経済の破綻回避のためには、なんとしてでも公共事業が必要だ。もっと突き詰めていえば、本音のところ、道路、ダム、橋といったものよりもその工事、しかも高度で大型のものはどうせ東京の大手ゼネコンに持っていかれるので、ダム建設のための取り付け道路などの付帯工事がほしい、というのだ。

 「道路公団」(日本道路公団、首都高速道路公団、阪神高速道路公団、本州四国連絡橋公団。以下、特に断らない限りこの4公団をまとめて「道路公団」という)の改革は、この様なさまざまな「道路観」の中で行われている。「道路公団」、この言葉を聞いて読者は何を思い浮かべるであろうか。天下り、談合、利権、族議員といった言葉が飛びかううちに、それはいつしか巨大な赤字の塊となってしまっていた。その額40兆円。なんとこれは国の年間予算の半分になる。道路公団は今後50年かけて返済するといっているが、実は口先だけで、50年も先のことなど誰も責任をもっていないのだ。民間会社ならとうに倒産だ。

そうするとすぐ出てくるのが、国や自治体で何とかしろという話だ。現にこれと同じような状態にあったかつての[国鉄]は、借金を国鉄清算事業団に引継ぎ、事業は5つに分割してJRになった。これはいまのところ大成功といわれている。だから今回もこのようにすればよいのではないかというのである。しかし、国鉄の場合、借金はほとんどそっくり残され、結局国民が負担させられている。また、鉄道と道路という社会資本には明確な相違がある(鉄道の場合、線路も車両もすべて一体なのに対し、道路の場合は道路とそこを走行する自動車は分離される)から、一緒に考えることはできない。それだけでなく、いまや借金を支える財政環境は大きく様変わりした。第一、国と自治体の借金がすごい。公共事業のばら撒きもあって、その総額は700兆円という、世界中に、そして歴史上に全く例を見ない恐るべき金額となった。これに道路公団の借金40兆円などのいわゆる隠れ借金およそ300兆円を加えると、日本の借金はなんと1000兆円、GDP(国内総生産)の2倍という天文学的なものになる。真実、国にも自治体にももうお金はない。道路公団より先に国や自治体が倒産してしまうかもしれないのである。

それではどうしたらよいか。こうしたなんとも悩ましい経済の論理と、先ほどみた様々な「道路観」を背景に、小泉内閣の「道路公団民営化」が決定され、2002年6月、「道路関係四公団民営化推進委員会」(以下「委員会」という)が発足した。委員会は同年8月に「中間整理」をまとめ、同12月に「最終意見」をまとめる。

しかし、委員会もなかなか腰が据わらない。「中間整理」の内容は迷走気味である。「最終意見」も、今後の[法案化]の過程でどうなるか。最終意見を実施するためには、およそ100本ともいわれる法律の制改定、さらには予算の抜本的な組換えが必要である。

すなわち、この改革は委員会が最終意見を出したり、小泉内閣が決定すれば終わりというようなものではなく、最終的にはすべて国会で可決されなければ実現できないのである。

新聞報道などによれば、[道路公団]や[国土交通省]といった当事者だけでなく、自民党族議員は猛烈な抵抗を示している。さらに今回はこれに付け加えて、いわゆる宮城、和歌山、三重といった改革派知事を持つ自治体も「道路建設凍結反対」の猛烈なデモンストレーションを起こすようになった。自治体の長がそろいもそろって反対にまわるなどというようなことは、前代未聞といわなければならない。

長野県では、[脱ダム]を掲げた知事に対して、県議会は「不信任」を突きつけた。小泉内閣の[道路公団民営化]も予断を許さない情勢となった。ひょっとしたら、国会も不信任を突きつけ、小泉内閣は「解散」で対抗するかもしれない。

市民も声をあげるべきである。それも急がなければならない。私たちは[道路公団民営化]をどう考えたらよいのだろうか。

 

1. すべての[高速道路](工事中及び計画中のもの)の建設を一時凍結せよ

道路計画によれば、予定路線11520km、整備計画延長9342km、施行命令9064km、供用延長6959km、となっていた。道路族や知事たちの主張は、このうち予定路線すべてとはいわないまでも、少なくとも整備計画が決定されている残り2400kmは何が何でも作らなければならない、というものだ。その額は約20兆6000億円と試算されている。

しかしこの主張には問題が多い。整備計画の対象となっている道路は、北海道、東北、日本海沿岸、山陰などいわゆる裏日本と裏日本をつなぐ道路や、太平洋側と日本海側を結ぶ[蛇腹路線]が多い。これらの道路は通行車両が少なく、作れば作るほど赤字になる。既存の40兆円の借金と新しくかかる20兆円を足すと借金は60兆円になり、これは誰がどう計算しても返済できない。したがって、私たちの主張のまず第一点は、これ以上赤字を増やさない、ということであり、この観点からいえば、まず現在工事中の道路を含めて、すべて凍結しなければならない。

凍結はとりあえず赤字を拡大させないというだけではない。道路改革は本気でやるということを全国民に知らせる最も効果的な方法であり、それは「口先だけの世界」と思われている現在の政治に対して、公約したことは実現されるという[リアリティ]をもたらす。最近の世の中全体の空洞化、あるいは政治家の無責任にいささかうんざりしている国民の目からみれば、この政治におけるリアリティの回復は、何よりも大きな幸福をもたらす。

しかしだからこそ、これに対するリアクションも激しくなることは当然である。宮城、三重、高知などのいわゆる地方分権改革の旗手といわれる知事ですらこぞって反対の声をあげているのも、この「凍結」に対する恐怖からである。政治の世界だけでなく、法的にもその反動は大きい。道路工事を途中で中止すると、直ちにゼネコンや道路予定地の土地所有者に対する補償問題が発生する。それだけでなく、道路やインターチェンジの建設等を前提として進められてきた土地の区画整理や再開発などまちづくりをどうするのかなど、難問が噴出する。そもそもこれまですでにできている道路はどうするのか。部分的に開通させて使えるものは使うが、そうでないものはこのまま放置する以外にない。しかし、これを現代の万里の長城として冷笑するにはあまりにも無惨である。

委員会は、工事の進捗率によって続行するか凍結するかを決めるとしているが、そうであればあるほど、道路公団はしゃにむに工事を強行し、既成事実を強化しようとかまえるであろう。

凍結の主張には、これらの動きを遮断するという覚悟と、中止によるマイナスをカバーするための理論武装が必要なのである。

 

2. [民営化]を支持する

道路公団に深刻な借金問題があることはわかった。それではどう解決したらよいか。小泉内閣が出した回答が道路公団の[民営化]であり、将来は[上場企業]になるような民営化イコール株式会社を作ろうというプランである。これに対して、道路は正真正銘の公共財であり、誰でもどこでも無料で使えるというのが原則であり、したがってそれはあくまで国が税金で作る、つまり「国営」が正しいし、望ましいという意見もある。

道路公団は国でも民間でもない、それこそ特殊な法人である。その道路は無料ではなく有料であった。いわば国と民間の中間にあって失敗したのである。道路公団は、戦後の全く財源のなかった日本で、戦後復興のためにとにかく急いで道路をつくらなければならないので、とりあえず財政投融資からの借金でつくり、道路利用者からの料金で返済する、返済が終わったら無料にするという約束であった。しかし、首都高速から始まった高速道路が全国にはりめぐらされ、いわゆる「プール制」によって、黒字路線から赤字路線へ補填していっても間に合わなくなってきた。官僚によって占拠された道路公団は、いつしか採算や効率など全く考えない無責任集団に堕していったのである。

私たちはこれに対して、いらない道路は作るべきでないが、必要な道路は税金によってでも作るべきである、という立場である。最も大局的にいえば、高速道路のような超大型公共事業はもういらない。むしろこれまで長年ほったらかしにされてきた、いわゆる建築基準法上の422項道路、4メートル未満の細い路地などの「生活道路」の整備やバリアフリーの道路を国民は望んでいるのだから、これらの道路の整備を急ぐべきである。

問題は、この必要か否かを、どういう基準で、また誰が判断するか、ということであろう。長野県の[脱ダム]に即して言えば、まず知事が選挙公約として約束し、これを[脱ダム宣言]として公表した。小泉内閣も同じような手法をとっている。次いで、知事はダムを中止する予算を提出したが、議会が承認しなかった。そこで、[ダム委員会]という専門家等による第三者機関を作り、ここに諮問した。小泉内閣も同じように今回の「委員会」を作り、ここに諮問した。

さて、その後が難関である。長野県の場合、ダム中止の答申後、議会が反発し、知事退職と再選という手続きを経て、県民が脱ダムを選んだというプロセスとなっている。注意しておきたいのは、専門家を含めたダム委員会でも、国土交通省のいう「基本高水」(どのくらいの雨が降ればどのくらいの洪水が起きるか、したがってどの程度のダムが必要かという理論)を含めて、ダムが必要かどうかを判断するための理論的な基準をつくることができなかった、ということである。

そこでこの長野の経験を踏まえていえば、[民営]つまり「採算が取れるか否か」というのは一つのきわめてわかりやすい判断基準であり、私たちもこれをとりあえず採用してよい、と考えるのである。しかしだからといって、生活道路を含めてすべて採算が取れるか否かの基準で考えるのではなく、これは次のような二段構えにすべきであろう。

すなわち、第一段階は上に見たように採算で考える。採算に合わなければ、とりあえずすべての道路は中止される。しかし、採算が合わなくても作るべき道路はあると考えられるので、その場合は、費用負担(税金投入も)を含めて、各地元で長野のようなプロセスを踏んで、最終的には国民(地元住民)が決める、というようにするのである。

なおその場合は次のような論点に留意されるべきであろう。

1 必要性の内容を明確にすること。これまでこれに関して、緊急医療のため、あるいは渋滞の解消、全体的なスピードアップなどが言われてきているが、これはあまりにも抽象的な基準である。代替案を含めて、具体的に検証する必要がある。

2 必要性の判断には市民を参加させること。最近は国や自治体も[パブリックインボルブメント]を言い始め、あちこちで参加の成果も伝わるようになった。しかし、どんなに市民の意見を聞いても、最終的な権限は官僚がもつ。すなわち、それらを「儀式」として使っているというのがほとんどである。最終的には住民投票を含めて決定するというように、判断主体を官から市民に変更する必要がある。

3 道路の形態や費用負担に関する従来の規制を緩和すべきである。まず形態から見てみよう。従来道路というと、高速道路やその他の道路を含めて、私たちは、できるだけ広く、真っ直ぐで、コンクリートというイメージで洗脳されてきた。しかし、幅が狭くても、曲がっていても、またコンクリートでなくてもよい道路はたくさんある。ダムについていうと、欧米では、川をダムでせきとめるより、自然のままに蛇行させて流す方が、かえって安全だという認識が深まっている。長野県の代替案は、ダムよりもはるかに生き生きとしている。

また、費用の論点も硬直すぎる。先ほども見たように、道路というとすぐに、これこそ人間生活に不可欠な社会資本であり、だから国がすべて税金で作るべきである、という議論が流行してきた。高速道路の料金も、さきにみたように、建築資金がないのでとりあえず受益者にガソリン税などとともに支払わせるものであり、工事費の償還がすんだら[無料]にする、とされてきた。現実には無料開放は(日光いろは坂道路などを除いて)フィクションとなったが、この様な無料化の意見は今でも根強い。

しかし、いわゆるシビルミニマムとしての道路は無料として考えるべきであったが、これを超えて、ある種の特権、つまり一部の特定の人や場所の利益のために作られる道路は、この特権を受ける者に対して負担を課してよいと考えるべきである。また今後の道路は、何よりも生活道路が中心となるのであるから、道路建設主体も国ではなく、このような道路に最も身近な自治体がイニシアティブをとるように転換する必要があるだろう。

 

3. 民営化の前提――本四公団は別会計、第2東名は建設中止

さて最大の問題は、民営化を考えるにあたって、これまでの借金との兼ね合いを取りつつどのような民営化を考えるか、ということである。民営化といっても、そもそも40兆円の借金を背負って運営できる会社など存在しない。[中間整理]ではこの点について、図1.(基本スキーム図:省略)のように、いわゆる[上下分離案](保有・債務返済機構と新民間会社に分け、保有・債務返済機構は道路資産と借金を持ち、資産を新民間会社に貸し出してそのリース料で借金を返す。他方、新民間会社はリース料を払いながら、有料道路の料金、あるいはサービスエリアの売店の売り上げなどで収入を上げる)を提案した。なお「上下一体化論」(新民間会社が道路資産を持ち、会社を運営する)も根強い。分離案のいう保有・債務返済機構とは実質「国」であり、運営するのが借金を背負わない民間会社というのでは、またまた無責任な体制が継続するからである。しかし、20021113日の各新聞報道などによれば、委員会はおおよそこの上下分離案で決着した、と報道された。

論点は、中間整理のいうように、「必要性の乏しい道路を造らない仕組みを考える」「国民が負う債務を出来る限り少なくする」の二点を達成するためにはどのような組識をつくればよいか、ということである。これには様々な要素が絡み合っていて論議も複雑である。そこで私たちは、これを次のように整理し、あらたな提案をしていくことにしたい。

1 道路4公団のうち、3兆8000億円の借金を負い、2000年度決算で利息1379億円に対して収入が869億円しかないという、経済的にいえば再生絶望となっている「本四連絡橋公団」については、とりあえず他の公団とは切り離して考えることにしたい。

なお本四連絡橋公団について、委員会では「道路特定財源」(ガソリン税などの石油諸税と自動車取得税などの自動車諸税がある。2001年度予算でみると、一般道路事業費は国と地方あわせて5兆845億円であるが、道路特定財源は石油諸税だけで国が28756億円、地方が1兆5604億円である。これは使途が道路建設に限定されている。そのため過剰な道路建設の要因だとして批判が強く、小泉内閣は一般財源化を図ろうとしている)による穴埋めが主張されるようになった。すなわち、借金合計3兆8000億円のうち、1兆5000億円程度を道路特定財源で、残りは関係自治体の負担(国と地元自治体が2012年まで毎年計800億円出資する計画だが、地元自治体の負担についてはこれを15年延長して2027年までとする)と通行料金(ただし現在の通行料金を値下げして通行量の拡大を図る)でカバーするというのである。

これに対する対抗案は、道路特定財源にしろ地元負担にしろ、最終的には国民の負担になるような解決方法ではなく、普通の民間会社のように、破産と競売という手続きによって売却してしまうという案が考えられる。これは新たに国民に負担をかけないという点では合理的であるが、利息も含めて3兆8000億円もかけて作った3本の橋(資産)をわずかな金で失ってしまうという欠点もある。どちらにしても国民負担は免れない。すなわち国民は道路特定財源という税金で肩代わりさせられるか、あるいは売却によって資産を失うか、その選択を迫られるのである。

なおこの提案は、この無駄な道路を作らせた政治家(特に大平、三木、宮沢の各総理大臣)、地元自治体、公団関係者などの責任を免罪するものではない。3本の橋の建設は、誰が見ても赤字になることは必至であった。公団はこれを、いいかげんな道路交通量の計算などでごまかしてきたし、政治家や自治体は赤字を承知で建設を強行させた。国民はこの様な無駄な道路を誰がどういう方法で、何故作ったのか詳細に調査して、その責任を追及する権利をもっている。

2 またもう一つ、この組織論に決定的な影響を与えかねない第2東名・名神高速道路についても触れておく必要があろう。

第2東名・名神高速道路は東京と神戸を結ぶ全線456kmの高速道路である。1993年から工事が始まった。工事進捗率をみると、「名古屋南〜東海」と「飛島〜みえ川越」の2区間18kmがすでに開業しているほか、「豊田東〜豊田ジャンクション」区間や「豊明〜名古屋南」区間など100%に近いところもある一方、「秦野〜御殿場」区間や「箕面〜神戸」区間など施工調査や設計協議中で1%程度にしかすぎないところもあり、極端な差がある。

さて、この道路は、全線開通までの総事業費として9兆590億円が見積もられ、すでに着工され、支出済みとなっている分が2兆3750億円である。

論点をみてみよう。第2東名・名神は、現在の東名・名神に並行して建設されるため、利用客の分散が予測される。ところが道路公団は、整備計画路線9342km完成時の交通量を、東名は1日平均約6万4000台、第2東名は約5万台と見込んだ。これは現在の4割以上の増加であり、到底達成できないだろう。もっと問題なのは、道路公団の計算通りの交通量があったとしても、なお赤字になるということである。つまり、これも本四連絡橋と同じく、はじめから赤字がわかっているのだ。

こうして、第2東名の建設を続けていった場合には、既存の40兆円の借金にこれだけでさらに9兆円が上乗せされ、債務返済が不可能になる。

したがって私たちが民営化を考える場合にも、この2東名の建設を中止する、というのが前提だ。冒頭に見たように、この第2東名の工事を凍結できるか否かが、政治的な焦点としてだけでなく、財政的にも決定的なのである。

 

4. 上下分離案は有効か

道路公団の財政は、本当のところどうなっているのか。

本四公団を除く3つの公団の2000年度の収支は以下の通りとなっていた。

 

          日本道路公団    首都高速道路公団   阪神高速道路公団

収益        2兆1128億円    2626億円    1890億円  

費用        1兆1882億円    1911億円    1653億円

(管理費        4292億円     792億円     523億円)

(金利         7225億円    1119億円    1130億円)

(一般有料道路の

 損失補填引当金     365億円                    )

 

問題の出発点がこの数値である。この数字を見ながら現在までさまざまな意見が出された。

1 40兆円の借金は、この数字、すなわち管理費を除いたすべての収益を返済に充て、かつ新しい組織の合理化、管理費の節約、ファミリー企業の適正な収益の確保などをきちんとすれば充分に返済可能である。

 2 これでも返済できない。したがって民営化推進委員会の川本案のように、一定の条件のもとに8兆円の公的な資金(財源は特定されていない)を注入する必要がある。なおこれは本四公団の借金も含んでいるので、先ほどのようにこれを切り離せば別な数字になる。

 3 細かく言えば、これと上下一体案あるいは分離案のなかで、法人税や固定資産税などの数値を含めて様々なシミュレーションがある。さらにはこれを地域ごとに分割する地域案(猪瀬案や田中案など、これも幾種類かある)が提案され、これによっても数値に差が出てくる。

このように、採算をめぐっては様々な数字やアイディアがある。このような中から、委員会は、最近ようやく組織論として上下分離案に、細部的に新民間会社が保有・債務返済機構に支払うリース料などによって借金返済のバランスを考えていくという結論に達したと報道された。

いまのところ、そもそも公団にどのくらいの資産があるのか、将来どのくらいの通行量があり、料金はどの程度になるのか、リース料や税金はどうなるのか、ディテールが不明なため、どの案がいいか決めることは困難である。率直に言って、それぞれに一長一短があり、圧倒的にすぐれている、という案は見当たらないようである。つまり、それぞれの案が借金返済に向いているかどうか、ということ以外にも、組織論として、上下分離案の場合、借金の返済には有効であるが、この様な厳格な条件で、はたして営利を目的とした民間企業が名乗りを挙げるか否か問題がある。保有・債務返済機構といわれる部分は、いわば新民間会社からリース料を受け取るだけのもので、現在の道路公団とほぼ似たような硬直した組識となるのではないか。あるいは反対に上下一体案にした場合は、国民の財産である道路を一体いくらで売り渡すのか、そこで発生した赤字は誰が埋めるのか、いくつもの問題が残されているのである。

 

5. 私たちの提案

 私たちはこの問題を、道路だけでなく、すべての公共事業の、さらには国と自治体に関わる日本再生のプログラムに関わるものとして、次のように骨太にみていきたいと考える。というのも、この道路公団の民営化の解決方法は、いわばすべての特殊法人のモデルであり、さらには借金地獄に陥っている国や自治体(第三セクターを含む)のモデルとなる、つまり問題の本質はどれもきわめて似ている、と考えるからである。

 1 道路公団などの組織は、もはや自力では借金を返済できず、天下り、ファミリー企業などの談合などの腐敗も解決できない。これは自治体の土地開発公社などの第三セクター、あるいは国の苫小牧東部開発などにも当てはまる。国、自治体、金融機関など、日本中あらゆるところで自力解決不能の状態だ。これらの組織も、道路公団と同じようにおおよそ「解体」の方向で考えるべきである。

 2 解体にあたっていくつか検討するべきことがある。

この様な借金を生み出した者に責任をとらせるべきことは当然として、最終的には、道路特定財源、あるいは地元負担、さらには税金の投入など国民の負担となることを覚悟しなければならない。早い話、誰も借金を返すことができず、借金の元となった国民の郵便貯金、年金、保険に大打撃が加えられるのだ。

これまで国民もあまりにもこの様な問題についてのんきでありすぎた。関心をもってきた者も、批判はしてきたが解決案を提示できなかった。さらに解決案が見つかったとしても、これを実現する主体をもたなかった。国民が一定の負担をするということは、国民は新たな組織に対して、これを監視する、これに参加して経営する権利を有する、あるいは義務をもつということである。

 その意味で、国民の側も無関心は勿論、批判だけの言論も許されず、村の土地開発公社の経営から国の財政の建て直しまで、主体として関わらなければならない。

 この様な、国民が主体者であるという観点から見ると、委員会を含めてこれまでの考え方はあまりにも旧来的な発想にとらわれている、と見るべきではないか。

 これまで見たように、問題を解決する組織として、これまでの発想は上下分離論と一体論とか、国と民間というように、いわば二項対立で事が考えられてきた。官は悪く、民は良いというのがその基層にある。とりわけこれまでの道路公団があまりにも悪かったため、民の効用が最大限強調されてきた。すなわち、民間では利益が最上価値であるから無駄な路線は作らないし、経営も合理化される、というようなものだ。しかし、新しい組織を考えるにあたって、本当に国と民間しかないのであろうか。別な組識は考えられないのであろうか。

 この問いへの回答は、新民間会社や保有・債務返済機構とはそもそも何をする組織か、ということからみなければならない。

まず、新しい組織は原則として今後道路を作らないとした。これはどういうことか。今後は道路の維持補修などの技術は残されるにしても、これまでの道路公団のように新しい道路を作るための技術(道路を作るだけでなく、トンネルを掘る、橋をかける、海に潜るなどを含む)はいらなくなるということである。道路公団の職員のうち、技術系職員は大量に整理される。言い換えれば、道路公団が日本道路公団だけでも9000人近い職員を抱えていたのは、新しく道路を作るための職員が必要だからであって、その分の人員が不要となるのである。

保有・債務返済機構は、文字通り、新民間会社からリース料を受け取って、国に対して負債を返済するだけになる。とすれば、このような組識として何も大げさなものを考えることはない。極端に言えば、アパート一室とパソコンだけあれば運営できるような組識で充分ではないか。

一方、新民間会社の仕事とはなんであろうか。道路料金の徴収、サービスエリア内の売店などの運営、さらにインターチェンジなどでの事業展開である。そして、この様な仕事は従来のように全国組識で一律に行われるのではなく、地域ごと、あるいは路線ごとに分割して行われる。この様な仕事はすべて民間会社で行わなくてはならないのだろうか。私たちの疑問と主張は、いわばこの一点につきる。端的に言って、そのような仕事は国でも民間会社でもなく、NPOなど市民を主体とする新たな第三の組織でも可能ではないかということなのである。

この第三の組織は、国や民間会社よりも、はるかにメリットが大きい。第一に、これは国の官僚制の硬直性、無責任性といった弱点とは無縁である。仕事は民主主義に基づき柔軟に、そして責任をもって行われる。第二に、民間会社と異なって、営利だけを目的とするものではない。そこでは、「市民的公共性」が追求される。

私たちはこの様な組織と事業を市民組織、市民事業と呼んでいる。この様な市民事業こそ、これまでの巨大土建型公共事業にかわる、ポスト公共事業社会を担う新しい公共事業だと考えているのである。

そこでは、経理は全国的に統一されることはあっても、経営はできるだけ細分化され、隅々まで目が行き届くようなものになっている。それはまた地域性が反映でき、その上で地域の条件を反映したいくつかの新しい組織の中での健全な競争を生んでいくであろう。

 

おわりに

道路公団民営化の論点は、従来からの官の独占、官と民の二元的構図に対して、さらにこれを止揚する市民事業の登場を示唆してくれた。

これはさらに大きな文脈、新しい日本の経済や政治の再構成を促すであろう。

道路、特に高速道路などの超大型土建事業は、道路公団の民営化という切り札によってその終焉が近いことが明らかになった。今後道路公団がどのような姿になろうと、簡単には道路の建設は進められない。道路は小型化していき、建設は自治体と市民にゆだねられ、より地域的なもの、生活道路に転身していく。道路は、最も巨大な資金を使う公共事業の象徴であった。この解体と変身は、当然のことながらダム、干拓、飛行場、港などあらゆる公共事業に波及する。最も公共性が高く、国や自治体が処置すべきものとされているごみ処理ですら、いまや民営化の声が聞かれるようになっているのである。

 そしてこの解体過程の中から市民事業が声をあげ、成長し、解体を加速するのである。

 さらに、よく考えてみれば、典型的な公共事業だけでなく、これまで国や自治体が特殊法人や第三セクターなどによって行ってきた様々な事業も、官よりうまく、しかも民より公共性の理念を失うことなく、市民が事業としてこなしていけるようになる。

そしてさらに究極的には「自治体」そのものですら、市民は「市民の政府」(注1)として運営していくことが可能なのである。

「凍結された道路」は、道路に仮託された医療、福祉、防災、要するに「町づくり」のやり直しを求めている。「道路公団の民営化」をきっかけにして、全国の市民が「市民事業」を誕生させ、展開させていくことを期待したい。

(注1)        五十嵐敬喜『市民の憲法』(早川書房・2002年)。ここでは自治体を従来のような、「地方公共団体」という権力者による統治の構造から、日本でも市民自らが統治の主体でもあり、客体でもある、北欧、ヨーロッパのコミューンのような「市民の政府」に転換しなければならない、ということを提案している。

 

著者紹介:

いがらし・たかよし 1944年生まれ。法政大学法学部教授。弁護士。著書に『美しい都市をつくる権利』『公共事業は止まるか』など。

たなか・ゆう 1957年生まれ。未来バンク事業組合理事長。環境と市民事業への融資を行う非営利のクレジット・ユニオンを運営。

やすだ・やそい 1944年生まれ。関東学院大学経済学部教授。東京工業大学数学科卒業。工学博士。専攻は環境政策学。プロジェクト評価論。

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