筑波大学 社会工学系

安田研究室 リプリントシリーズ

 

 

 

No.1991−9

 

 

 

スーパーアメニティ都市“横浜”の虚像と実像

 

 

 

by

 

安田 八十五 

   

 

 

地域開発ニュース(東京電力発行)第233号

1991年9月、PP17−22

 

 

 

 

〒305−8573つくば市天王台1−1−1

筑波大学 社会工学系

安田 八十五研究室

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スーパーアメニティ都市“横浜”の虚像と実像

安田 八十五

1.住んでみたいまちトップ“横浜”

 

 最近、各地で魅力あるまちづくりを進めようと、景観づくりや環境整備が行われている。その中でも、横浜のまちづくりは代表的な成功例といわれている。横浜は、各種のアンケート調査による「住んでみたいまち」、「行ってみたいまち」のランキングで必ず上位に名を連ねる。

 一般に、都市開発といえば、東京に近いものをめざしていることが多い中、横浜は独自の洗練されたイメージを持つ個性的なまちといえる。

 これは、独自の文化や伝統を活かすとともに、統一性のある美しい街並みが大きく影響している。そこで、横浜を例にとり、横浜がどのように作られて(横浜の都市形成史)いったのか、具体的例をとりあげながら、「美しく、住み良いまちづくり」とは何か?について考えてみたい。

 しかしながら、横浜に長く住んでいると、このような美しい横浜のイメージとは逆に、住みにくく、醜い横浜もしばしば経験する。「超快適都市?」といえるかどうか横浜の虚像と実像を明らかにすることにしよう。

 

2.横浜はどうつくられてきたのか?

(横浜の都市形成史)

 

 加藤秀俊氏は、千年都市、三百年都市、百年都市といういい方をしているが、いま、イメージの良い都市は、札幌・神戸・横浜など全部百年都市であり、幕末・明治維新以降、発展した大都市である。

 横浜はもともと戸数百戸ほどの半農半漁の寒村であったが、幕末、米国ペリーの圧力により、函館・新潟・神戸・長崎などといっしょに開港された港湾都市である。アメリカは本来、当時の主要国土軸である東海道沿いの神奈川地区の開港を要求していたが、混乱を恐れていた幕府官僚が出島化し易い横浜村を勝手に開港場に設定してしまった。実際、開港された安政6年(1859年)の翌年の万延元年には、開港地区を出島化すべく横浜村の住民を強制集団移転させた元村(現在の元町)地区と関内居留地区との間にわざわざ運河を開削したほどである。(図1参照)これがいまの元町商店街の裏を流れている堀川である。(現在は中村川の下流となり、上を高速道路が走っている。)

 港湾貿易都市として出発した横浜は、その後、工業都市、高度成長以降の東京のベッドタウンとしての住宅都市などのさまざまな都市機能を集積しながら、現在の人口320万人の日本で第2位の大都市に発展してきた。

 

3.横浜と東京との良い関係と悪い関係

 

 横浜の歴史を振り返ると、開校以来、江戸・東京との関係を抜きに何も語ることはできない。そもそも横浜は東京に近い良港で、かつ、適度に離れていることから、現在の位置に、江戸の港湾地域として開かれたわけである。このことが、良い意味でも悪い意味でも,現在の都市横浜を形作っている。明治―大正からつくられてきた京浜工業地帯も東京との関係から、工業開発が進められてきたのである。

 筆者は現在、横浜市磯子区に住んでいるが,眼下に広がる根岸湾重化学工業地帯は昭和30年代の高度経済成長時代につくられたものである。ちなみに、この根岸湾は、ペリーが黒船で来航したとき、世界で最も美しい岬の一つと激賞した所である。いまは、無残な姿に変わってしまった。

 昭和30年代の高度経済成長以後,横浜は住宅都市の色彩をより強めていったが、こらはほとんど東京に勤務する人のベッドタウンとして郊外地域が開発されていったものである。

 このように、横浜は東京との関係で,その都市の姿が形成されていったと言っても言い過ぎではない。

 

4.大都市としていびつな構造をもつ横浜

 

 図2は、11都市の平均と比較した横浜の都市機能を示しているが、この図から横浜がいかにいびつな都市特性を有しているか一目瞭然である。人口でみると、300万人を超え,東京に次いで11大都市中、第2位の巨大都市になっているのに、都市の経済的自立性をはかる指標である昼夜間人口比では、89.6%(昭和60年国勢調査による)と90%を割っており,決して大都市と呼べない程である。ちなみに11大都市で100%を割っているのは、川崎(92.8%)と横浜の2都市のみである。この90%を切っている昼夜間人口比こそ、就業の場が少なく,東京のベッドタウンと化していることを意味している。

 このようないびつな都市構造を、横浜市都市計画局長の小沢恵一氏は次の10の構造的問題(『生きている都市、つくる都市』)として整理しているが、筆者も大体同感である。

@     人口は巨大である。

A     しかし、昼夜間人口比(89.6%)、人口の流出率(37.0%)、市民の市内就業率(62.4%)等で端的に示されるように、人口構造、就業構造に大都市らしかるぬ歪みをもっている(ただし、年齢構成上では人口増、特に社会増があるため比較的に若く,サラリーマン層が多い)。

B     生産構造からみれば、市内総生産額が市民総生産額の78.3%、市民所得構成では雇用所得が75.0%のシェアを占めているのに対し、企業所得は15.5%と少ない。また市民総支出では市外要素所得が21.7%を占め、経済的にも歪みを示している。

C     これらは、人口に対して市内の産業、就業の場が少ないこと、あるいは東京のベッドタウンの性格を示すものである。

D     市内の産業構造の上では、第三次産業が68.8%のシェアで,11大都市中では11位であり、第二次産業の持つ比は相当重く、工業都市的性格の強さを示している。

E     工業は,横浜市が港湾都市であることと深くかかわっており、その港湾は、性格としては自動車、機器にウェイトをもった輸出港である。

F     人口の巨大さに対して第三次産業のウェイトは小さい。消費人口を多量にかかえながら、商業が全体として経済を支え,また市民の就業の場に相応する力を有していない。

小売業では11大都市中4位であるが、しかし人口1人当たりの年間販売額では80.9万円と、全国の84.0万円すら下回る状況にある。

G     文化的ストックが少ない(特に歴史的蓄積がない)。ちなみに国宝は2つあるが、固定的な建造物はない(東京都は220、建造物0、京都市は201、建造物38、重要文化財になると横浜市52、建造物12、東京都1,965、建造物38、京都市1,632、建造物83である。―「昭和60年末、大都市比較統計」による)。

H     都市基盤整備が遅れている。特に、市域の各地域をつなぐネットワークが弱く,東京指向型の体系が強い。ちなみに道路率でみると、面積当たりの延長では18%で、東京都の16%、名古屋市の17%と同レベルにあるが、道路面積では10.4%で、東京都の14.5%、名古屋市の15.0%、大阪市の17.5%に比して相当に劣り,かつ東名高速道などの通過目的の道路を差し引くと、さらに小さくなると考えられる。実感として、狭く、山あり谷ありのうねった道路網である。

I     全域が市街地化しており、かつ、スプロール状の市街地が形成されている。

 

5.自立都市をめざす横浜市の挑戦

 

 飛鳥田市政以来、細郷市政、そして現在の高秀市政とつづく横浜市が行政全体としてめざし、取り組んできたのが、このいびつな都市構造を直し、人口300万人にふさわしい巨大都市としての自立性をつくりだすことであった。現在では、横浜の新しいシンボルになったベイブリッヂはもともと飛鳥田市政の6大事業の1つとして計画されていたものである。ベイブリッヂは本来、港湾機能を強化すべく、本牧埠頭と大黒埠頭をつなぐコンテナトラック用の横断橋として構想されたが、その後、首都高速網の一つである東京湾岸道路の一部として位置づけられた。

 現在、横浜市の最大事業として取り組まれている『みなとみらい21(MM21)』は、もともと6大事業の1つの都市部強化事業として計画されたものである。90を切っている昼夜間人口比を100にするためには、38万人の雇用人口を生み出す必要があり、その半分の19万の雇用人口をMM21地区に呼びこもうという計画である。(MM21の雇用人口目標である19万人がこのような算術からはじき出されたことを知っている人は意外と少ないのではなかろうか。)

 

6.アーバン・デザインに成功した横浜

 

 都市の骨格をつくり出す巨大事業を単なる箱物作りに終わらせないため、横浜市は「アーバン・デザイン」という方法論を都市計画全般に組み込んだ。「アーバン・デザイン」手法こそ、現在の、極めて美しく、他都市からはうらやましがられる都市の姿をつくり出す魔法のつえになった。

 山下公園を中心とする、中心地区のきれいな姿、川を覆い隠す高速道路さえも絵になるようにしてしまった横浜市の魔術には、筆者もただただ感心し、あ然としている。

 東京に唯一対抗できるファッション商店街である元町商店街は、クルマ社会に真正面から取り組み、クルマと人との共存に成功しつつある。

 港湾都市を市民に身近なものとして感じさせるための帆船日本丸の誘致と「船と港の博物館」(マリタイムミュージアム)の建設、等々、横浜市は絵になりやすく、写真になりやすい都市の風景を続々とつくりだしてきた。まさに、外見上は、「スーパー・アメニティ都市・横浜」といえるのかもしれない。

 

7.市民から見た横浜の醜い姿、住みにくいまち

 

 横浜は確かに、絵になりやすく、歌になりやすいまちである。週末など、ベイブリッヂを渡って若者がどっと横浜に押し寄せてくる。横浜は、人を引きつけるのには成功したらしい。

 しかしながら、住民の立場からは、横浜の都市づくりには大きな不満がある。というより、根本的な疑問がある。人口300万人を超え、東京につぐ人口第2位の巨大都市にふさわしい都市構造をつくり出すという、都市づくりの政策目標は正しいのであろうか。

 横浜は、川崎と同じように、人口300万人を超える東京超巨大都市圏(1都3県)のサブエリアという現実を無視してはならない。

 行政上、独立した市になっているからといって、巨大都市圏の一地域に過ぎない所に独立性、自立性をつくり出すことは、自由主義経済を前提とする限り基本的に無理であり、実現不可能な政策目標であることを冷静に認識すべきである。人は東京超巨大都市圏のどこで働き、どこに住み、どこで遊ぶかは自由である。

 次に、自立都市をめざす横浜市の都市づくりは、どうしても経済機能中心に偏ってしまい、住民無視となり、市民の素朴な要求とは相入れないケースもでてきている。

 現在、首都圏中央連絡道路の一部として計画されている横浜環状道路の南側部分で起こっている地元住民と横浜市当局との間のコンフリクトは、この典型的な事例である。

 先日、筆者の主宰している横浜都市問題研究会で小沢氏を招き、セミナーを開催したが、参加者の一人から小沢氏に鋭い質問が出された。「横浜市の都市経営は、東京を追いかけ、かつ経済中心となっており市民を無視しているのではないか。たとえば、新横浜の横浜アリーナは、一般市民は実質上借りることが出来ず、借りるのは東京の大企業に偏っている。また、イベント終了後は人であふれ市営地下鉄新横浜駅は混雑し、住民の日常活動に支障がでている」との指摘であった。

 今後、横浜市はいたずらに大事業をめざすのではなく、市民の日常生活の改善に直結した都市づくりを第1目標として、都市政策や都市経営に取り組むべきである。

 

参考文献

A.  筆者らによるもの

1.     安田八十五ほか「安田八十五のトップシート対談@〜J」タウン誌『浜っ子』1990年1月〜11月号。

2.     安田八十五・亀岡誠「(対談)横浜のアイデンティティ」『浜っ子』第11巻第6号、昭和63年6月号、PP.11〜16。

3.     安田八十五「首都圏の将来ビジョンと横浜の課題−内からの文明開化をめざして−」『新しい横浜』Vol.1、1987年3月、PP.4〜9。

4.     安田八十五・佐藤昌之(鰍ンなとみらい21副社長)・福泉伸一「(座談会)21世紀の横浜を考える−みなとみらい21成功の条件−」『ベストパートナー』第2巻、第1号、1990年1月、PP.28〜45。

5.     安田八十五「アメニティ優先の交通ネットワーキング」『地域開発ニュース』第221号、平成元年6月、PP.15〜19。

.横浜論関係の本
1. 小沢恵一(横浜市都市計画局長)『生きている都市、つくる都市−ヨコハマからの                 

    実践的都市論−』ぎょうせい、1991年5月、2,700円。

2.     苅谷昭久(日刊工業新聞記者)『超開発会社横浜市はいま-21世紀都市づくりのノウハウを探る−』オーエス出版社、1991年6月、1,400円。

3.     神奈川サンケイ新聞社編、榊原博行、金井久(サンケイ新聞社記者)『ヨコハマ再開発物語-みなとみらい21−』日本工業